おはようございます。
北海道大学での仕事のため、昨日から札幌に来ています。
この前、知人に「来週、北大に出張なんです。」と話したところ
「それなら、宮部金吾記念館にぜひ。」と勧められました。
日本の植物学の父であり、
その方は、宮部博士のノートにとても感銘を受けた、とのこと。
宮部金吾記念館は、
北海道庁の近く、北大植物園の中にあります。
こちらは、赤レンガの「旧北海道庁 庁舎」
背後のビルの、更に向こう側が北大植物園です。
午後便の飛行機でしたが、
閉園時間ギリギリで滑り込むことができました。
館内撮影禁止なので、外観だけ。
宮部博士、同じ札幌農学校の 内村鑑三や新渡戸稲造 と
生涯深い親交があった方で、
また、札幌市の発展に尽くした功績で、名誉市民第1号となった方。
話に聞いていた「ノート」というのは、
農学校時代のノートだったのですが、
全編英語。(わーーー!
当時、開設まもない札幌農学校は、
教授がすべて外国人で、講義も英語だったから、だそうです。
ですが、
今も残っている、内村鑑三や新渡戸稲造との書簡も、大半は英語。
とても英語堪能だったそう。
私も学生時代の研究室は、植物形態学で、
ちなみに「日本の植物学の父は、牧野富太郎」が周囲の通説?になっていた気がしますが、
牧野富太郎と 宮部金吾。全然違ってました。
今思うと、なんだけど、
自分の母校は、奈良にあって、
奈良というのは、1000年以上前から人が住んでいて。
母校も「女学校の先生を育成する機関」。教育系の大学なんですよね。
そうすると、植物分類学を整備して、図鑑などを作った牧野富太郎が
「植物学の父」と言われるのは、さもありなん、という気がしてきました。
一方
北海道に来てみて、
また、札幌農学校時代の展示などを見てみると、
農学校って、想像以上に「開拓の歴史そのもの」なのだな、と。
同じ「植物学」でも、
林業資源として有用な樹木、とか、
本州とは違う植生、気候の研究だとか。
そちらの色合いが強いのだな、と強く感じました。
開拓の成否や、道民の生活にも密着しているし、
後進の育成にも力を注がれた様子が伝わってくる。
教え子だけでなく、札幌市民にも慕われて、
名誉市民1号に推されたに違いありません。
「明治時代に、国が設置した大学」という点だけは共通しているけれど、
町の歴史や成り立ちも、大学の使命も全然違うのだな、と
改めて実感。
今年は偶然、奈良先端大や名工大でも講義をさせて頂いているので、
大学のカラー、使命、求められている事、などについて
改めて考える 良い機会になりました。
すごい地味(ごめんなさい!)だけど、
行ってみてよかったです。
さて、北大工学部、行ってきます!
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